故九代目入船亭扇橋師匠の命日
平成30年7月10日(火)


《旧暦5月26日》末廣亭の楽屋にて俳句を頂戴した懐かしい写真だ
落語協会HPメールマガジン
★本日は兄弟子である故入船亭扇橋の命日だ。現在の落語協会
のHPではない落語協会ホームページ委員会が運営担当してい
た時はメールマガジンを配信していた。毎回、宗匠には俳句を
定期的に頂戴していた。最初は色々な人が扇橋師匠に会って俳
句をお願いしていたが宗匠から小袁治君を専任にして欲しいと
要望され最終回まで愚生が担当させてもらった。
★愚生が俳句担当になった理由は弟弟子であり、全ていただい
た俳句の記録を取って重複しないようにするためでもあった。
専任なので以前にもらったような気がすると感じると、過去の
俳句を見れば記録に残っているのですぐにわかる。一二度その
ようなことがあって以来、メルマガ俳句はその度に作るという
パターンになった。
★懐かしい宗匠の俳句を紹介します♪平成18年8月中席号のメ
ールマガジン俳句コーナーです。
古池に雲映りゐて敗戦日 扇橋
宗匠『扇橋』と小袁治「後輩」の会話
《注》小袁治は宗匠をいつも兄(あに)さんと呼ぶ
「兄さん、敗戦日って終戦記念日のことでしょう?」
『世間ではそういう風に言われているけども、ボクは気取らな
いでそのまま正直に敗戦日だと思っているんだ』
「8月15日ですね」
『本当に暑い日だった。日本が負けたことが分かったときに、
思わず空を 見上げたんだ、涙が一杯にたまってね、下ぁ向く
とこぼれるからずっと 空を見ていた、口惜しかったね。空に
はいっぱい雲が出ていたなぁ‥‥、ふと、古池を見ると雲が水
面に映っている、あの時は本当に泣けたね』
「兄さん、小三治兄さんは仙台の大空襲の思い出をアタシに聞
かしてくれたことがありますよ」
『仙台大空襲?敗戦の年だね』
「岩沼というところへ子供の頃、疎開していたんだって。子供
心にも仙台の町が赤く燃えているのが目に焼きついて忘れるこ
とが出来ないって、 云っていましたよ。それでね、その時に
寒いと感じたらしいですよ」
『寒い訳ないよ、確か7月10日の未明のことだった。恐怖を感
じたんだ ろうな、幼心に怖かったんだろう、剛ちゃんも可愛
いところがあるんだ』
「忘れることのできない事ってぇことですか?」
『あゝ、今朝は何を食ったか忘れることがあっても、あの日の
ことは忘れないよ‥‥』
※剛ちゃん→小三治の本名:郡山剛蔵(たけぞう)
<入船亭 扇橋(いりふねてい せんきょう)落語協会HP>

★やっぱり投手が安定していない、心配だよ‥‥
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